1905年 アインシュタインが相対性理論を発表
- 1917年
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過マンガン酸カリウムの
製造方法の発明第一次世界大戦の影響で消毒液として使われていた過マンガン酸カリウムが不足。利平が製造方法を発明し、国益に貢献。
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田原神戸町に
石黒製薬所開設
- 1921年
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農薬の販売開始
過マンガン酸カリウムの需要が減り、他の化学工業品メーカーも作るようになる。一方、利平は農業市場に目を向ける。植物の成長を促す石灰硫黄合剤の発明をもって「農薬の石黒」として名を馳せるようになる。
- 1937年
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利平が硫酸ニコチンの
製造法を発明殺虫剤としてアメリカ産の「硫酸ニコチン」が広く使われていた。1931年の満州事変により、アメリカとの関係が悪化したのをきっかけに利平が農林省の勧誘を受けて、硫酸ニコチンの製造法研究を開始。
- 1950年
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石黒製薬所の法人化
卸販売の体制が整い、事業拡大の道が開く
1945年 ポツダム宣言
1955年 三並義忠が「電気炊飯器」を発明
- 1960年
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石黒㓛三の代へ
石黒㓛三が
石黒製薬所㈱ の代表取締役社長に就任 -
代表/石黒㓛三
「一に訪問、二にも訪問、三にも百にも訪問、お客さま訪問を率先垂範」
ハウスを建ててくれた農家さまを訪ね、クレームを聞き出し、品質向上に取り組む。これが自分の役目だと考えた。「イシグロでハウスを建てればどうやら社長が出来具合を確かめに来てくれる」と評判になった。 - 1961年
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農業基本法が可決。「三ちゃん農家」が急増
- 1964年
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園芸資材用のビニール
取り扱い開始この頃から農薬だけではなく、農材に事業展開
- 1968年
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豊川用水完成
かつて干害に見舞われていた東三河が発展
- 1970年
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イシグロ農材㈱ 設立
「予想してできるものではない。当社に運が味方してくれた」
石黒製薬所と農業資材を扱う旭産業が合併して「ハウスの製造・加工から建設施工までトータルに対応するイシグロ農材」が誕生。赤字経営でスタートしたが、「お客さまの近くで、常に身近に接しながら販売する」という密着型の営業で信頼関係を得、第23期には年商100億円を突破。
1964年 東京オリンピック開催
高度経済成長
1970年 大阪万博
1973年 オイルショック
1977年 マイクロコンピューター発売
- 1984年
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イシグロホームセンター・ユアーズ開店
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「くすりのイシグロ」がイシグロドラッグストア・アーパスに改称
- 1988年
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ホームセンター・ユアーズがホームセンター・リブに改称
リブ(RBHU)はサンスクリット語で「匠の神々」という意味
- 1991年
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石黒功が石黒製薬所、イシグロ農材の代表取締役社長になる
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代表/石黒功
「愛情をもって社員とかかわり、社員の成長のために全力を尽くす」
社員とともに生命の尊さを深く理解し、成長し、お客さまのお役に立つ、これを日々願って仕事をしています。「生命に感謝し、生命を育む」は、私にとっては何より、社員とお客さまに恩返しをすることだと思っています。 - 1998年
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金子鋼機㈱ がイシグログループに入り、のちにイシグロ農材関東㈱ に改称
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石黒製薬所からリブ・アーパス部門を分割し、㈱イシグローイング設立
- 2000年
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イシグローイングからアーパス部門を分割し、㈱アーパス設立。のちにジップ・ホールディングスの100%子会社になる
「生き残りをかけて争うよりも、イシグロにしかできないことをやってみたい」
競合の激しいドラッグストア業界を去り、 再び農業界に焦点を当てる。
- 2005年
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イシグロ農芸㈱ 設立
トマト生産農場を開設
- 2006年
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ホームセンター・リブ部門を㈱カーマに営業譲渡
- 2007年
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ガーデンセンター・カフェ「くくむガーデン」オープン
- 2008年
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オランダ事務所開設
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(有)精興園と(有)セラマムがグループ入り
- 2009年
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㈱加村農薬がグループ入り
- 2010年
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100周年
- 2012年
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山形日紅㈱ 、㈱ひまわりがグループ入り
2005年 愛知万博
2013年 富士山・和食が文化遺産
- 2015年
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イノチオホールディングス㈱ を設立し、イノチオグループとして生まれ変わる
強いブランドを作り、全社員の成長につなげるを土台にイシグログループの第二の創業が始まった。農業は高齢化・後継者不足やグローバル化など、多くの課題を抱えている。この新時代を「いのちを大切にして、可能性を大きく開いていこう」という願いを込めた名前「イノチオ」で始めることになった。
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イノチオみらい㈱ 設立
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アグリパーク南陽㈱ がグループ入り
- 2016年
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イノチオプラントケア㈱ が㈱加村農薬と㈱エコサンクスを吸収合併
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イノチオファーム豊橋完成
愛知県の施設園芸をより一層進行するため、農業・流通関連企業、農協、大学、豊橋市および愛知県を構成とする次世代園芸推進コンソーシアムを組織。その拠点となる「イノチオファーム豊橋」では、高度な環境制御技術により高品質な農産物を計画的、安定期に生産、地域の先進的技術普及の一翼を担う。
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日本農事㈱ がグループ入り
- 2017年
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山形日紅、ひまわりが合併し、イノチオ東北㈱ になる
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新社屋完成
現在の本社屋の建設地は、歴史をたどると、イノチオグループの施設部門であるイシグロ農材の設立に戻ります。昭和41 年(1966年)、旧石黒製薬所の事務所と倉庫を造るにあたり、初めて高師に進出。その後、この土地はイシグロ農材本社となり、さらにはイシグロ園芸を開設。スクラップ・アンド・ビルドでホームセンター・ユアーズを建設、改称し、ホームセンター・リブとして使っていた場所です。本社屋の設計建築に当たっては、デザイン性だけではなく、100年以上使えるというコンセプトで設計。
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イノチオ中央農業研究所を開設
- 2018年
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川合肥料㈱ がグループ入り
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hana・yasai栄店オープン
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ラオスのAdvance Agriculture
を事業継承「これからは農産物だけでなく、農業技術も輸出する時代」
- 2019年
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イノチオ東北、日本農事がイノチオプラントケアに統合
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オランダのFloritecがグループ入り
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イノチオ・フジプランツ㈱ 、イノチオ・スズキヤングプランツ㈱ を設立
1985年からカーネーション種苗の専門会社として活躍しているフジ・プランツ㈱のカーネーション事業を継承
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SDGs宣言
経営理念に掲げる「持続可能な社会の実現に貢献」するため、国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)に沿った事業方針を決定。グループ内では各部門でSDGsの視点に立った事業計画を策定し、その実践を開始。
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Advanced Agriculture がラオス法人K.P Company Limited と合併契約。Inochio K.P Lao に社名変更
- 2020年
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㈱ランドサイエンスがグループ入り
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オランダの農業ハウスメーカー
Bosman Van Zaal社と業務提携大規模化する日本国内の施設園芸市場に向けた新たなソリューションを提供するため、ボスマン社と技術面で連携し、高機能かつ低コストな温室の開発を目指す。
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イノチオホールディングス社屋
「2020年度グッドデザイン賞」受賞 -
イノチオ精興園のセイフェスト(マム)が「フラワー・オブ・ザイヤー」を受賞
- 2022年
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岐阜県のエノモト農材 ㈱ グループ入り
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大阪府の ㈱はれると グループ入り
2018年 大谷翔平がメジャーで二刀流で活躍
2019年 ラグビー日本代表が史上初
決勝トーナメント進出
田原に石黒薬局誕生
石黒利平が田原病院に薬局主任として勤務。同じ年、田原市に間口三間、奥行二間くらいの小さな薬局を開設。薬局の人気が高まり、やがて1917年に病院を退職し、研究に没頭。
「自分のいのちは、世のため、他のためにあるとしか思えない」
自分はまことにつまらぬ、学歴もなく、とるに足らぬ人間で、田舎病院の一薬局長にすぎないが、いやしくも薬学をもって世に立っている以上、いくぶんでも国民の医療衛生のためにお役にたたなくてはならない。